U-515はドイツ海軍がかつて運用したUボートIXC型潜水艦。6度の哨戒任務において23隻を撃沈、2隻に壊滅的な損傷(後に沈没)を与え、更に2隻に損傷を与えた。
艦歴
U-515は1941年5月8日にハンブルクのホヴァルツヴェルケにて起工され、1941年12月2日に進水、1942年2月21日にヴェルナー・ヘンケ中尉指揮下にて就役した。U-515は就役後第4潜水隊群に配属し、5月上旬に訓練を実施した。1942年8月31日まで第4潜水隊群に所属し、その後第10潜水隊群に加わって作戦を行った。
第1哨戒
U-515は1942年9月8日にシュチェチンを離れ、燃料補給のためキールに停泊した。9月11日にキールを出航し哨戒任務に就き、その間に9隻の船を沈め1隻に損傷を与えた。 U-515は10月20日に占領下のフランスにあるロリアンに戻った。
第2哨戒
U-515は11月7日にロリアンを離れ、2回目の哨戒を行った。アフリカの海岸に沿って航行している間、11月11日の夜に英国の停泊船(おそらく11月11日に攻撃され12日に沈没したHMS ヘクラ)を攻撃し、その後英国の駆逐艦(おそらくHMSヴェノマウス)より爆雷を投下された。12月6日には大西洋中部にて客船SSセラミックを沈没した。U-515はアゾレス諸島を約1週間哨戒し、1943年1月5日または6日にロリアンに戻った。
第3哨戒
軽微な修理が行われ、1943年2月20日にロリアンを離れて3回目の哨戒を行った。U-515は3月4日にアゾレス諸島の北西約335マイルにてイギリスの貨物船SSカリフォルニアスターを沈め、3月9日に西アフリカの海岸沖でフランスの貨物船バマコを沈めた。4月29日、Uボートは航空機カタリナに攻撃された。U-515は20mmの対空砲で応戦したが撃墜は出来ず、カタリナによる損害も受けなかった。攻撃後は再び潜航し、4月30日と5月1日の夜の12時間の間に、U-515はフリータウン半島沖の護送船団TS37を攻撃し、7隻を沈めた。
護送船団TS37への攻撃の数日後、U-515にはU-460から燃料と魚雷が補給された。U-515は哨戒を続け、5月9日にノルウェーの貨物船コーンビルを沈めた。U-515は3回目の出撃を完了し、6月23日にロリアンに戻った。U-515はこれまでの哨戒における功績が認められ、すべての乗組員に長期休暇が与えられ、多くの乗組員が二級鉄十字章を授与された。
第4哨戒
ロリアンでは大規模な修理と改装が行われ、艦橋の後部に20mm対空砲と37mm高射砲を装備した。また、4つのG7esソナー誘導方式魚雷を搭載した。U-515は8月29日にロリアンを離れ、アフリカの西海岸を哨戒した。約1週間後にアゾレス諸島の海域にて護送船団を発見、攻撃を開始したが、護衛艦に探知され、爆雷を受けた。損傷を負ったU-515は修理のために基地に戻ることを余儀なくされ、9月12日にロリアンに帰港した。
第5哨戒
修理には6週間かかり、10月下旬に完了した。1943年11月1日、U-515はロリアンを出発し、サン=ナゼールに立ち寄って2つのG7es魚雷を換装した。 U-515は11月9日にサン=ナゼールを出港し、アゾレス諸島とポルトガル沿岸の哨戒を開始した。U-515は11月18日の朝に護送船団を発見するが、航空機に捕捉される。潜水するも駆逐艦によって探知され、3隻の駆逐艦による爆雷を受け大きな被害を被った。メインバラストと予備オイルタンクが破裂し、いくつかのバッテリー、電子機器、及び前方水上翼モーターも損傷した。U-515は爆雷を受けながらも護衛の1隻であるHMSチャンティクリアを雷撃し、修理不可能な損傷を与えた。さらに爆雷は続き、U-515が浮上できた頃には酸素切れ寸前であった。甚大な被害にもかかわらず、乗組員は海上で修理を行うことを決定し、11月22日に完了した。U-515はアフリカの西海岸を哨戒し、12月17日にイギリスの貨物船キングスウッドを撃沈し、2日には別のイギリス貨物船フェムスを沈めた。更に12月24日にイギリスの貨物船MVドゥマナを沈め、1944年1月16日にロリアンに帰港した。
第6哨戒
U-515は、新しいバッテリーの取り付けなど、大規模な修理が行われた。修理は3月下旬までに完了し、30日にロリアンを出航した。1944年4月8日、U-515は艦載機を発見し、潜水した。1時間後に浮上すると、別の航空機に攻撃されるが、爆撃は命中しなかった。
4月9日、U-515はマデイラ諸島の北で、駆逐艦ポープ(USS Pope, DE-134)、ピルスベリー(USS Pillsbury, DE-133)、シャトレイン(USS Chatelain, DE-149)、フラハーティ(USS Flaherty, DE-135)に攻撃された。浸水と深度制御の喪失によりUボートは海上に追いやられ、TBFアベンジャー及びF4Fワイルドキャットのロケット弾及び銃撃によって沈められた。
U-515の乗組員のうち16名が死亡したが、44名は生き延びた。生存者は駆逐艦に捕らえられ、後に空母ガダルカナルに移送された。U-515の指揮官であるヴェルナー・ヘンケは生存者の1人であった。1944年6月の後半、捕虜として拘束されている間、バージニア州フォートハントにあるアメリカ軍諜報施設(P・O・Box 1142)から逃走を図り射殺された。
ウルフパック
U-515は4つのウルフパックに参加した。
- ウェストウォール(1942年11月8日 - 12月16日)
- Unverzagt(1943年3月12 - 19日)
- Seeräuber(1943年3月25 - 30日)
- Schill 1(1943年11月16 - 22日)
戦果一覧
脚注
出典
参考文献
- Bishop, Chris (2006). Kriegsmarine U-Boats, 1939-45. London: Amber Books. ISBN 978-1-904687-96-2
- Busch, Rainer; Röll, Hans-Joachim (1999). German U-boat commanders of World War II : a biographical dictionary. London, Annapolis, Md: Greenhill Books, Naval Institute Press. ISBN 1-55750-186-6
- Busch, Rainer; Röll, Hans-Joachim (1999) (ドイツ語). Deutsche U-Boot-Verluste von September 1939 bis Mai 1945 [German U-boat losses from September 1939 to May 1945]. IV. Hamburg, Berlin, Bonn: Mittler. ISBN 3-8132-0514-2
- Gröner, Erich; Jung, Dieter; Maass, Martin (1991). U-boats and Mine Warfare Vessels. 2. London: Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-593-4
- Kemp, Paul (1999). U-Boats Destroyed - German Submarine Losses in the World Wars. London: Arms & Armour. ISBN 1-85409-515-3
- Miller, D. U-Boats: the Illustrated History of the Raiders of the Deep. Washington: Brassey’s Inc, 2000.
- Navy Department Office of the Chief of Naval Operations, Washington. Report of the interrogation of survivors from U-515 sunk on 9 April 1944 and U-68 sunk on 10 April 1944. Washington, 17 June 1944. Retrieved 30 May 2007. From “U-boat Archive - U-515 - Interrogation Report”. 2017年4月11日閲覧。
- Williamson, Gordon (2005). Wolf Pack: The Story of the U-boat in World War II. Osprey. ISBN 1841768723. https://archive.org/details/wolfpackstoryofu00gord
関連項目
- ドイツ海軍
外部リンク
- Helgason, Guðmundur. “The Type IXC boat U-515”. German U-boats of WWII - uboat.net. 2010年2月26日閲覧。
- Hofmann, Markus. “U 515” (ドイツ語). Deutsche U-Boote 1935-1945 - u-boot-archiv.de. 2015年2月1日閲覧。


