長尾家(ながおけ)は、藤原北家勧修寺流勧修寺家庶流にあたる華族の男爵家。いわゆる「奈良華族」の一つ。
歴史
勧修寺家当主勧修寺顕彰の四男顕慎は、文久元年(1861年)に幼くして奈良興福寺に入れられて惣珠院住職となったが、明治元年(1868年)に勅命により復飾し、翌2年に堂上格を与えられて一家を起こして長尾を家号とした。明治8年に華族に列し、明治17年(1884年)7月7日の華族令施行で華族が五爵制になると、翌8日に顕慎は男爵に叙された。顕慎の夫人は押小路公亮子爵の長女息子(明治15年に離婚)。
顕慎は負債を抱えて経済的に困窮したため、明治20年(1887)1月13日に爵位を返上した。
顕慎の娘に経子(明治9年11月28日生)がある。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年(平成8年)。ISBN 978-4642036719。
- 森岡浩『日本名門・名家大辞典』東京堂出版、2012年(平成24年)。ISBN 978-4490108217。


