内ヶ崎 昇(うちがさき のぼる、1894年(明治27年)7月31日 - 1976年(昭和51年)5月23日)は、日本の政治家。宮城県富谷村長(2期)。

来歴

宮城県黒川郡富谷村(のち富谷町、現・富谷市)出身。富谷高等小学校卒。農業に従事する。1921年(大正10年)富谷村会議員に当選。1923年(大正12年)富谷村助役を経て、1929年(昭和4年)7月富谷村長に就任した。

村長時代は宮城県町村会副会長、県農会代議員や耕地整理組合長に就任。村長は1937年(昭和12年)6月まで務めた。

戦後の1947年(昭和22年)富谷村議会議員選挙に立候補し、当選、議員を1967年(昭和42年)まで5期20年務めた。在任中は村議会各常任委員長、教育委員、農業委員、公立黒川病院事務組合議員、監査委員などを歴任した。

地方自治功労者として1953年(昭和28年)に全国町村議会議長会会長、1962年(昭和37年)に宮城県知事から表彰を受けた。

1976年(昭和51年)に死去した。

脚注

参考文献

  • 宮城県町村会編『宮城県町村会七十年史』宮城県町村会、1992年。
  • 富谷町誌編さん委員会編『新訂 富谷町誌』富谷町、1995年。

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