1959年ドイツグランプリ (1959 German Grand Prix) は、1959年のF1世界選手権第6戦として、1959年8月2日にアヴスで開催された。
21回目のドイツグランプリは前年までのニュルブルクリンクから1926年以来のアヴスに変更され、30周の2ヒート制、498kmで行われた。
レース概要
アヴスは平行する2本の長い直線とそれをつなぐ2つのコーナーだけというシンプルなサーキットで、南側にあるコーナーは平坦だが、北側のコーナーは43度の急峻なバンクになっていて、路面はレンガ敷きでバンクの最上部にはバリアすらなく、別名「死の壁」と呼ばれた。超高速に起因するタイヤのトラブルが懸念されたため、2ヒート制でレースを行うことになった。最初から2ヒート制で開催されたのはF1世界選手権では当レースのみである。
フランスGP後にフェラーリを去ったジャン・ベーラは、前年の世界スポーツカー選手権参戦時にポルシェと契約していた関係で、独自にスポーツカー仕様のRSKをF2仕様に改造した「ベーラ・ポルシェ」で当レースにエントリーしたが、決勝前日に行われた前座のスポーツカーレースで雨の中RSKスパイダーを走らせた際に「死の壁」でスピンを喫し、車両から投げ出されてコース外の旗ざおにぶつかり、その際に頭蓋骨を骨折して亡くなった(詳細はジャン・ベーラ#最後のシーズンと死を参照)。
パワーサーキットのアヴスではパワーに勝るフェラーリが表彰台を独占した。イギリス人のトニー・ブルックスが優勝、アメリカ人のダン・ガーニーとフィル・ヒルが2位と3位になった。ガーニーはデビュー2戦目で表彰台に立った。当レースはロブ・ウォーカー・レーシングチームでクーパーを走らせたスターリング・モスはヒート1の序盤でリタイア、ドライバーズランキング首位のジャック・ブラバムもヒート1の15周でリタイアした。モスに代わってBRPのBRMを走らせた地元出身のハンス・ヘルマンがヒート2の途中で大クラッシュを喫し、宙を飛ぶマシンからヘルマンが振り落とされるアクシデントが発生したが、奇跡的にかすり傷一つ負わなかった。
ドライバーズチャンピオン争いは、2位のブルックスが首位のブラバムとの差を4点に縮め、ポイントを獲得したヨアキム・ボニエとモーリス・トランティニアンが4-5位に順位を上げた。コンストラクターズチャンピオン争いは、2位のフェラーリが首位のクーパーとの差を5点に縮めた。
エントリーリスト
- 追記
- タイヤは全車ダンロップ
- ^1 - 予選前のサポートレースで事故死
- ^2 - エントリーしたが出場せず
結果
予選
- 追記
- ^1 - アリソンはポールポジションのブルックスより速いタイムを出したが、予備ドライバーとしてエントリーされていたため14番グリッドに降格した
決勝
- 追記
- ^1 - ファステストラップの1点を含む
第6戦終了時点のランキング
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。
脚注
参照文献
- 林信次『F1全史 1956-1960』ニューズ出版、1999年。ISBN 4-938495-27-9。
外部リンク
- STATS F1




