源 清平(みなもと の きよひら)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。式部卿・是忠親王の次男。

経歴

醍醐朝の延喜2年(902年)文章生となる。延喜3年(903年)二世王の蔭位により従四位下に直叙され、翌延喜4年(904年)弾正大弼に任ず。

延喜10年(910年)山城守に任ぜられると、延喜11年(911年)大和守、延喜16年(916年)三河権守、延喜17年(917年)河内守に叙任されるなど、醍醐朝中期は専ら地方官を歴任し、この間の延喜16年(916年)従四位上に叙せられている。

延喜23年(923年)に兵部大輔次いで左京大夫と京官に復帰する。延長5年(927年)近江権守と醍醐朝末から再び地方官に転じ、承平2年(932年)には大和守に再任されている。承平4年(934年)正四位下。承平7年(937年)勘解由長官、天慶2年(939年)右大弁と朱雀朝中期は京官を務め、天慶4年(941年)には参議となり65歳にして公卿に列すが、同時に大宰大弐を兼ね大宰府に赴任した。

天慶8年(945年)正月13日に任地で卒去。享年69。最終官位は参議正四位下行大宰大弐

官歴

『公卿補任』による。

  • 延喜2年(902年) 9月:文章生
  • 延喜3年(903年) 正月7日:従四位下(直叙)
  • 延喜5年(905年) 2月:弾正大弼
  • 延喜10年(910年) 正月13日:山城守
  • 延喜11年(911年) 正月13日:大和守
  • 延喜16年(916年) 5月22日:従四位上。8月29日:三河権守
  • 延喜17年(917年) 正月29日:河内守
  • 延喜23年(923年) 正月12日:兵部大輔。6月22日:左京大夫。6月27日:昇殿
  • 延長5年(927年) 正月12日:近江権守。2月18日:赴任
  • 承平2年(932年) 正月27日:大和守
  • 承平4年(934年) 正月29日:正四位下
  • 承平7年(937年) 3月:勘解由長官
  • 天慶2年(939年) 8月27日:右大弁
  • 天慶4年(941年) 3月28日:参議、大宰大弐、止弁
  • 天慶8年(945年) 正月13日:卒去(参議正四位下行大宰大弐)

系譜

  • 父:是忠親王
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:源師保
    • 男子:源是輔
    • 男子:源共貞
    • 男子:源相規

脚注

参考文献

  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年

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