王 含(おう がん、生没年不詳)は、中国三国時代の蜀漢の武将。

生涯

炎興元年(263年)、蜀漢が魏の侵攻を受けた際に、監軍として兵五千を率い、楽城を守備していた。楽城は李輔の兵一万に包囲され、さらに鍾会の攻撃を受けたが、終戦まで陥落することなく持ち堪えた。

同年11月、鄧艾が成都に迫ると、蜀漢の皇帝劉禅は降伏(蜀漢の滅亡)。剣閣を守る姜維、漢城を守る蔣斌らは鍾会の元へ降伏したが、王含のその後の動向は不明。

三国志演義における王含

小説『三国志演義』では第113回で初登場。姜維の北伐に従い、命によって祁山に陣営を築いたが、その場所には鄧艾が地下道を通しており、魏軍の夜襲を受けて敗れた。

その後は楽城を守備した点は史実と同じだが、劉禅降伏に先立ち、蔣斌と共に魏に降ったこととなっている。

出典

  • 陳寿『三国志』巻44 蜀書 姜維伝

脚注


蜀漢還有十萬精兵,為什麼三個月就被曹魏兼并 幫趣

蜀汉真的人才凋零吗?诸葛亮浪费的人才 都可以再建一个蜀汉了蜀汉真的探索发现川北在线

蜀漢王_百度百科

Pin by Peter Kwok on 三國志14 Warcraft art, Game concept art, Japanese

蜀汉后期名将—王平 三国志·战略版自走棋上线小米游戏中心