満洲電信電話株式会社(まんしゅうでんしんでんわ)は、1933年8月31日に設立され、ポツダム宣言の受諾に伴って閉鎖された日満合弁による国策会社。満洲国及び関東州における電気通信事業(放送も含む)を独占的に経営していた。略称は「満洲電電」、略号は「MTT」。
概要
1933年3月26日に日本・満洲国間で調印された「満洲国ニ於ケル日満合弁通信会社ノ設立ニ関スル協定」に基づいて設立されたもので、関東州、南満洲鉄道附属地及び満洲国にある日・満両国政府所有の電気通信施設を合併、経営することを目的としており、放送事業に関しては、会社設立時に満洲国交通部から奉天・新京・ハルビンの各放送局、関東庁逓信局から大連放送局を継承した 。
1945年8月、ソ連軍や中国側による接収によって事実上消滅。日本国内においても、1946年11月に閉鎖機関に指定され、業務を停止した。
沿革
- 1922年9月 - 中国の東三省政府、哈爾浜にあるロシアの無線局を接収し、東三省無線電台と改称。
- 1923年春 - 哈爾浜の東三省無線電台(呼出符号XOH)、試験放送開始。
- 5月15日 - 哈爾浜の東三省無線電台、東三省無線電台哈爾浜分台と改称。
- 1925年3月 - 関東庁逓信局、南満洲鉄道大連埠頭事務所内の無線電話施設で実験放送を公開。
- 7月 - 関東庁逓信局、大連放送局(呼出符号JQAK)を新設し、実験放送を開始。
- 8月9日 - 大連放送局、本格的に実験放送を開始(聴取申込許可料として毎年1円徴収)。
- 1926年10月1日 - 東三省政府の哈爾浜広播無線電台(呼出符号XOH)、正式に放送開始。
- 1928年1月1日 - 哈爾浜広播無線電台、新設備から本放送開始(呼出符号をCOHBに変更)。日本語番組も開始。
- 1月1日 - 奉系当局の瀋陽広播無線電台(呼出符号COMK)、正式に放送開始。
- 1931年9月 - 満洲事変により、瀋陽・哈爾浜の両放送局、放送停止。
- 10月16日 - 関東軍、瀋陽広播無線電台を接収し、奉天放送局(呼出符号Z1LY)を開設。
- 12月 - 陸軍省、「東北無電台処理要領」を策定。
- 1932年1月12日 - 関東軍特殊無線部、設立(奉天放送局を管轄)。
- 2月1日 - 奉天放送局、短波によるロシア語放送を開始。
- 2月22日- 関東軍特殊無線部、関東軍特殊通信部と改称。
- 7月 - 関東軍特殊通信部、哈爾浜広播無線電台を接収し、哈爾浜放送局(呼出符号COHB)を開設。
- 10月 - 奉天放送局新京演奏所、運用開始。
- 11月 - 哈爾浜放送局、関東軍特殊通信部から満洲国交通部に移管(呼出符号をMOHBに変更)。
- 12月9日 - 「満洲ニ於ケル電信電話事業ニ関スル件」、閣議決定。
- 1933年3月26日 - 「満洲国ニ於ケル日満合弁通信会社ノ設立ニ関スル協定」(昭和8年条約第1号)、調印(5月15日:批准、公布)
- 4月16日 - 新京放送局(呼出符号MTAY)、関東軍特殊通信部の指揮下で放送開始。
- 7月21日 - 「関東州及南満洲鉄道附属地電気通信令」(昭和8年勅令第197号)、公布。
- 8月 - 奉天・新京の両放送局、関東軍特殊通信部から満洲国交通部に移管。
- 8月31日 - 満洲電信電話株式会社、設立。満洲国交通部から奉天・新京・哈爾浜の各放送局、関東庁逓信局から大連放送局を継承。
- 1936年11月1日 - 新京・大連の両放送局で広告放送開始。
- 12月1日 - 奉天・哈爾浜の両放送局で広告放送開始。
- 1937年11月30日 - 「関東州及南満洲鉄道附属地電気通信令」、「関東州電気通信令」に改題(昭和12年勅令第684号)。
- 1940年4月 - 広告放送が事実上終了。
- 1945年8月 - ソビエト連邦や中国側の接収により、満洲国や関東州における事業を停止。
- 1946年11月25日 - 閉鎖機関に指定され、日本国内における業務を停止。
- 1950年12月28日 - 在外活動閉鎖機関に指定。
重役
- 総裁 山内静夫 1933年8月31日 -
- 総裁 広瀬寿助 1937年3月 -
- 総裁 吉田悳 1945年3月2日 -
- 副総裁 三多 1933年8月31日 -
- 副総裁 進藤誠一
- 副総裁 チムトシムベロ 1941年3月 - 1942年3月ごろ
- 理事 井上乙彦 1933年8月31日 -
- 理事 前田直造 1933年8月31日 -
- 理事 西田猪之助 1933年8月31日 -
- 理事 瀬田常男
- 理事 大内誠三
- 監事 西山左内 1933年8月31日 -
本社
- 新京 - 現在でも主要機関として使用されている
管理局
- 大連・奉天・新京・哈爾浜・牡丹江・斉斉哈爾・承徳
出張所
- 東京(丸ビル四階)・大阪
放送局
- 下表の記号や略語の意味は、
- 関東庁: 関東庁逓信局、関東軍: 関東軍特殊無線部または特殊通信部、満洲国: 満洲国交通部、満洲電電: 満洲電信電話株式会社、東三省: 東三省政府(張作霖を中心とする政権、国民政府の奉天派政権も含む)
- R1: ラジオ第1放送、R2: ラジオ第2放送、R3: ラジオ第3放送
- ○: 局所名、種別、所管、呼出符号変更、●: 廃止
著名な出身者
- 森繁久彌(俳優、元アナウンサー)
- 糸居五郎(ニッポン放送アナウンサー)
- 仁智栄坊(俳人)
- 高屋窓秋(俳人)
- 大久間喜一郎(歌人、国文学者)
- 小高芳雄(TBSアナウンサー)
- 渡辺仁三(TBSアナウンサー)
- 植村二三子(TBSアナウンサー)
- 高橋百合子(TBSアナウンサー)
- 奥瀬平七郎(小説家、元上野市長)
- 赤羽末吉(絵本作家)
- 金澤覚太郎(放送人)
参考文献
- 滿洲電信電話株式會社『昭和十四年・康徳六年 滿洲放送年鑑』、1939年。
- 滿洲電信電話株式會社『昭和十五年・康徳七年 滿洲放送年鑑』、1940年。
- 日本放送協会 編『昭和六年 ラヂオ年鑑』誠文堂、1931年2月25日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1907532。
- 日本放送協会 編『昭和七年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1932年3月25日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1260055。
- 日本放送協会 編『昭和八年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1933年6月10日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1260073。
- 日本放送協会 編『昭和九年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1934年6月18日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1260086。
- 日本放送協会 編『昭和十年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1935年5月15日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1260094。
- 日本放送協会 編『昭和十一年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1936年6月5日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223101。
- 日本放送協会 編『昭和十二年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1937年5月10日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223109。
- 日本放送協会 編『昭和十三年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1938年6月15日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223119。
- 日本放送協会 編『昭和十五年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1940年1月10日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223137。
- 日本放送協会 編『昭和十六年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1940年12月30日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1222640。
- 日本放送協会 編『昭和十七年 ラジオ年鑑』日本放送出版協会、1941年12月30日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1222657。
- 日本放送協会 編『昭和十八年 ラジオ年鑑』日本放送出版協会、1943年1月30日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1222667。
脚注
注釈
出典
外部リンク
- 満州国の放送とラジオ
- 田部康喜公式サイト「「鬼の十訓」の現代性――吉田秀雄 2013年9月2日閲覧
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