秀世王(ひでよおう、生没年不詳)は、平安時代前期の皇族。大宰帥・仲野親王の子。官位は従四位上・美作守。
経歴
天安2年(858年)清和天皇の即位に伴って、二世王の蔭位により無位から従四位下に直叙される。貞観5年(863年)次侍従に補せられる。貞観8年(866年)大和国より楯列山陵(神功皇后陵)の守たちが多数の樹木を伐採しているとの言上があった。そこで神祇官が卜占を行ったところ、旱魃が起こっている原因はこの伐採にあるとの結果が出た。そこで、秀世王は参議・藤原良縄ともに申謝と雨乞いのために山陵に派遣された。
その後、時期は不明ながら従四位上に叙せられ、光孝朝初頭の元慶9年(885年)美作守に任ぜられている。
官歴
『日本三代実録』による。
- 天安2年(858年) 11月7日:従四位下(直叙)
- 貞観5年(863年) 3月28日:次侍従
- 貞観8年(866年) 6月29日:見散位
- 時期不詳:従四位上
- 元慶9年(885年) 2月20日:美作守
脚注
参考文献
- 武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録 上巻』戎光祥出版、2009年



